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走走走 歌唄歌 走ること、歌うことのお薦め

走走走 歌唄歌 走ること、歌うことのお薦め

なんちゃってランナー10年史

なんちゃってランナー、10年続けてまいりました。そんな私のお粗末なランナーズヒストリー。

1.初マラソン

1994年、ロサンゼルスマラソン

88年から商社の駐在員として滞在しており、後輩が92年くらいからLAマラソンに参加していて誘われていたが、「走ること自体は嫌いではないが、42kmは人間業ではない」と断り続けていた。しかし、日本人が経営する飲み屋で野球に誘われ、ライト前ヒットをライトゴロにしないため一塁まで全力疾走、翌朝太腿の裏が内出血で紫色になり運動不足を痛感する。そろそろ帰国が迫っていたこともあり、記念にということも含めて94年の出走を決断。この頃の練習量はあまり記憶にはないが当時住んでいたアパートの周りをぐるぐると回っていただけで、たぶん1回の練習が10km Max だったかと思う。

結果、4時間55分くらい。覚えているのはスタート時の独特の雰囲気、25kmまで歩かずにジョグ出来たこと、その後一定区間歩いたら同じ分走ることを自分に課して進み続けた苦しさ、最後頑張れば5時間を切れることに気付きゴールまで走り切ったこと、ゴール時のそれまでに経験したことのない達成感、感動、ゴール後立ち上がれない僕に何人もの人が大丈夫かと声を掛けてくれたこと、などなど。でも今から考えると当時の自分の年齢(35歳)、運動量(ゴルフもカートで、自動車通勤のため歩くことすらなかった)、ランニング歴(このフルの前に1度だけ10kmの大会)では初マラソンでの5時間切りはそれなりの記録だったと思う。

2.初マラソン後の停滞期

5ヵ月後の8月、サンフランシスコマラソンに出場、4時間44分。帰国後、仕事の関係で「かすみがうらマラソン」に数回参加するが、最後まで歩かずに走りとおした4時間22分をベストに4時間30分前後で定着する。大会参加は年1回で、練習もその前の2ヶ月程度。ただ、その頃はそれなりにマラソンを走っている気分になっていた。

3.2度目のLA駐在と低迷期

98年から2度目のLA駐在となり、99年からまたロサンゼルスマラソンに参加する。まわりには自分より速いランナーがいなかったのでそれまでの記録や練習量に満足していたと思う。記録は、

99年 5時間8分41秒
00年 5時間24分52秒

99年は猛暑、00年は大雨、また、コースのアップダウンはクレームが付いて後年コース変更となるほど厳しいものではあったが、このあたりで加齢とともに記録が伸びないのではないかと思い始める。特に00年は二度とサブファイブには到達できないかもしれないと思ったほど。しかし、危機感、というよりは、記録よりは続けることが大事と割り切っていた。

01年 4時間55分28秒

この年は練習量を増やしました。同僚のアメリカ人が自分の住んでいる近所の走友会(英語では何と言うのか?)に参加し、練習を積んでいるということに刺激を受けて。それと、前年のような屈辱を味わいたくなかったため。しかし、自分の体力以上の練習量だったためか(といっても大会前の2ヶ月で合計300km程度)ふくらはぎを故障。軽い肉離れだったと思うのですが、直りきらずに出走。案の定、1kmも走らないうちに症状が出て着地ごとに痛みが走る。マラソンで痛みのないまま走りきるということはありえない、と考えて頑張るが、この痛みがまだ40kmも続くかと考えると憂鬱に。30km過ぎて「来年もある」と考えはじめるが、「いやいや来年はないかもしれない」。結局、これが正しい予感で1ヵ月後に帰国の辞令を受け取ることになるのだが、このときはまだ知る由もなし。最終的には歩くことなく走りきり、再び4時間台を記録。この時のことが自信となり、その後のマラソンは一度も歩くことなくゴールしている。

4.帰国後その1(2001年~2002年)

2001年にLAより帰国。年に1回の参加を春・秋の2回にしようと決心する。2002年、かすみがうら終了後も練習を続け、9月末までの練習量は合計750kmに達する。今にしてみれば、あるいはそれなりの時間の目標を持って走っている人たちにすれば「たったそれだけ?」ということになるのだろうが、当時の自分にしてみればかなりの距離であった。結果、

2002年10月
諏訪湖ハーフマラソン 1時間50分51秒

2002年11月
福知山マラソン 4時間7分40秒

諏訪湖は何としても2時間を、というのが目標であったが大幅に更新して達成。福知山は思いもよらぬ好結果であった。この頃からサブフォーを意識し始める。この年の走行距離は925kmだった。

5.帰国後その2(2003年)

2003年3月
荒川市民マラソン 4時間56分20秒

これはあくまで4月のかすみがうらを意識しての練習ラン。昔の自分にしてみれば練習のためにフルに参加するなんて考えられなかった。

2003年4月
かすみがうらマラソン 4時間5分前後

前年に1年を通じて練習し、また2003年に入っても3ヶ月で370km(相変わらずたいしたことないが)を走っていたので、今度こそサブフォーをという思いが強かったが、まだまだ練習不足であったのと、その年のこの大会時の暑さにやられて最後は届きませんでした。

2003年11月
福知山マラソン 4時間4分47秒

10月に入って患った風邪が長引き、直前の練習不足で本番を迎えてしまう。最初からサブフォーはあきらめていたが、同じペースで最後まで走りとおして結局は5分弱オーバー。ただ、この時痛感したのは、たった5分、されど5分で、これが自分の実力の限界かとも感じる。

6.2004年

2004年1月
千葉マリンハーフ 1時間42分32秒

これが意外であった。前年の福知山には練習不足で臨んだし、12月の練習は10kmのみ。1月に入っても35kmしか走っていなかったため、とにかく2時間だけは絶対に切ろう、ただし無理はしないで練習のつもりでと臨んだ大会。しかし、スタートラインまでの走りがやけに軽い。スタートしてからもそれなりのスピードで息が切れることなく5kmを通過。この時のタイム、25分30秒強。目の前にいる自分よりも若い番号を追い抜いていくことを当面の目標に次の5kmは24分20秒くらい? 何とキロ5分を切っている。しかも苦しくない!!! そのまま徐々にペースを上げて、最後まで走り切れたのには驚いた。練習の成果というものがすぐにではなく数ヵ月後に現れて来ることを痛感。サブフォーに向けて走行距離を延ばすことを自分自身に誓う。


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